秘密の。



互いに顔を見合わせて絶句した。
互いの視線と表情で、事態を把握は出来たものの、次の行動が起こせない。いや、起こしたくとも起こせない。

互いにこれは、秘密の行為の証だから。

「……… えぇっと、」
「な、なんだ」
「お、俺、見なかったことにするんで、チョウさんも、そうしてくれると有難いんですけど…」
「そ、そうだな。それがいいな」
そうしてぎこちなく衣服を身に着け始める。この空間の空気から、早く離れたい。

待機寮。
夏の盛り、丸一日外に出ずっぱりだった安積と須田は、仕事の定時も過ぎ、ある程度のメドがついた時点で当直である黒木をひとりデカ部屋に残して寮の風呂を借りに行った。少し熱めの湯に浸かり、他愛のない話や今度の方針を話し合って湯船から上がり、不意に脱衣所で見合った瞬間に、互いのある一点を凝視して硬直した。
ほのかに蒸気した首筋に僅かに浮かび上がる小さな鬱血跡。シャツを着た上ではギリギリ見えない位置ではあるものの、今の状態ではそれもまったく意味を為さない。そもそもその存在にすら互いは気づいていなかったのだから。


見るからに、キスマークとしか思えないそれに。


「これから、どうするんです?」
しっかりシャツのボタンを閉め、濡れた髪をタオルで拭きながら、須田が尋ねる。
聞かれ、安積はちょっと難しい顔をして考えて、くちを開いた。
「一度署に戻る。其れから帰ることにしよう」
「そうですか。俺もちょっと用あるんで、戻ります」
何となく。
何となくだが、互いの行動の意味が判っているようで、相変わらずの居心地の悪さは其処にあった。しかし、この共通の秘密が奇妙な親近感を生んでいることも確かなような気がして、云い知れぬ安心感があることも否めなかった。

署に戻ると、ふたりはデカ部屋へと向かう。
其処には今日当直である黒木だけがいた。てっきりもう戻らないと思っていたのだろう、黒木は顔を上げると少し目を見張った。
「特に何もないようだな」
連絡も何もない時点で判っていたことだが、安積は確認の意味を込めて黒木に声を掛けた。
「はい」
黒木の返事に無言で頷いて、安積は自分の席に向かった。離れていた間に置かれた僅かな書類に目を通すつもりなのだろうか。黙って眺めていた須田だったが、用があると云って来てしまった以上このまま立っている訳にもいかず、ゆっくりと席に着いた。
「どうしたんです、一体?」
横から黒木が声を掛けた。取り敢えず先刻までの書類を軽く見直そうかとしていた須田は、こうも早く黒木から声を掛けられるとは思わず、つい手を滑らせた。
何枚かの書類がばさばさと床に落ちる。
「あ、」
やばい、慌てすぎだ。落ち着け落ち着け自分。
しゃがみこんで拾おうとするが、焦れば焦るほど取る手が震える。すると自分が声を掛けた事が原因かと思ったのか、黒木も一緒にしゃがんで書類を集め始めた。
「おい、ハンチョウ居るんだろう?」
不意に速水の声が響いた。
戻ってきた時、一階を通ったのを見たのだろう。その声には居ることを確信した感じがあった。安積は不意に顔を上げると、おもむろに席を立った。周りが疑問に思う前に速水の腕を掴むと会議室へと向かう。
「ハンチョウ? おいこら、どうした」
「… 話がある」
あーあーあー。
何となく須田は察した。会議室へと姿を消した二人に小さく苦笑して顔を上げると、予想していたよりも近くに黒木の顔があって須田は思わず身を引いた。
不意に黒木が手を伸ばす。強張ってしまった須田の、また乾ききらない髪に触れる。
「なに、黒木…」
「風邪、ひきますよ」
脈絡のない言葉に、まじまじと黒木を見詰める。
「何かありましたか?」
髪も乾ききらない内に、また署まで戻ってくるなんて。
暗に言葉裏に込められた意図に、どう切り替えそうか悩む。
「ん… ちょっとね、なんていうか」
視線を彷徨わせ、考える。だが迷ったのは僅かだった。今此処に居るのは黒木と自分だけ。近くに誰かが居る気配はないし、しゃがみこんでいるのでちょっとした死角に入っている。ひっそりと話す分には申し分のない状況だ。
彼と視線を合わせるとシャツのボタンを外して、ゆっくりと自分の首筋を指差す。
「これ」
指差された箇所を見た黒木の視線が揺らいだ。
「チョウさんに見られた」
「、」
あからさまな動揺。
「え… と」
言い訳でも模索しているのだろうか。普段の彼らしくなく、言葉を濁す。
「何て云うか、ええと、深く聞かれずに済んだのは、不幸中の幸いとしか云えなかったけど」
黒木の視線が泳ぐ。安積が行ってしまった方へと向き、仰ぐように上を向いたあと、須田へと戻る。こういう生真面目なところが如何にも黒木らしくて、須田は苦笑した。
「まあ、其の… いつも気をつけてくれてるからか今までこういうのなくて、油断してたよ俺も…」
云いながら今度は須田が視線を泳がせた。込み上げる羞恥心に、顔が熱くなる。
嗚呼もう、何か云って欲しい。
相変わらず言葉少ない黒木に、抗議めいた視線を送ろうと顔を上げた。
「………」
見合った黒木の表情は、申し訳ないものでも、須田みたいに照れているようなものでもなく、何処となく楽しげでもあり、不意に眉を寄せた。もしやという疑念が生まれる。
「もしかして… 黒木…、 … わざと…!」
云い終わる前に黒木の唇が言葉を遮った。
一瞬状況を理解出来ずにいたが、我に返ると慌てて黒木から離れた。しゃがんでいた不安定な体勢だったせいもあってか、ついでに尻餅をつく。
「黒木…っ」
「想像ですけど、同じだと思いますよ」
不意に速水と安積が消えた会議室へと視線をやって、黒木が云う。
「主張、です」
「?」
疑問ばかりが脳内を駆け巡る。何を云ってるの。何が云いたいの、黒木。
戻ってきた視線は再び真正面から須田を捉えた。
「独占欲と、所有欲。せめてそれくらい、噛み締めたいじゃないですか」
須田は背筋を駆け上がる、衝撃にも似た何かを感じて身を竦ませた。

瞬間。

荒々しくも感じる勢いで、安積が会議室から飛び出してきた。慌てて立ち上がった須田に一瞬驚いた表情を浮かべる。
「すまんな、今日はもう帰る。黒木、後は頼んだ」
もつれるような早足で階段を降りていく。
唖然と安積を見送るしかなかった須田は、ようやく会議室から出て来た速水を見て何となく何かがあったなと思う。やけに嬉しそうに笑っている。これは何かちょっかいを出したんじゃないだろうかと無粋な勘繰りすらしてしまう程だ。
呆然と見詰める須田に、速水は深い笑みを浮かべた。
「次からはうまくやれよ」
とんとん。と自らの首筋を指差す。
「………!」
うっかりボタンを外したままにしていた。咄嗟に掌で其処を覆うが既に遅い。速水はいかにも楽しそうに笑いながら階段の奥へと消えた。 深く追求されなくて安心したと同時に、焦燥が込み上げる。
何だろう、今の速水さん…。
意味深な微笑みから厭な予感しか感じ取る事が出来ず、疲れがどっと肩に圧し掛かってきた様な錯覚に囚われる。
気がつくと隣には腰を上げた黒木が立っていた。ひどく疲れた顔をしているであろう自分とは対照的に、いつもと変わらぬ彼に怪訝な表情を向けてしまう。
「大丈夫ですよ」
妙に確信めいたことを云う。
「これ以上は踏み込まないと思います、あちらも」
どういうこと。その言葉の裏の意味は?
不信感がそのまま顔に出たのだろう。須田を見詰める黒木が小さく笑った。
「多分俺は、速水さんと、似た気持ちだと思います。そして須田チョウは係長と」
今日チョウさんと感じた共有感は、もしかすると今より前に黒木と速水さんの間で交わされていたことなのかも知れない。
そう思いついて須田は諦めにも似た境地になった。
「俺はともかく、黒木には似て欲しくないと、心底思うよ」



懇願にも似た言葉に、再び黒木は笑った。


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*黒×須 + 匂わすくらいの速×安。
… ギャグ?
速水にしろ黒木にしろ、相手に対しての執着が結構強いイメージ。
安積や須田はとにかく秘密裏にしたい!って思いそうだから尚更。
で、突発的に「バレてもいい」って思って堂々キスマークつけて自己主張。

タチ悪い!

2009.08.06